たまには、エスプレッソでも飲もう。
そうだ、頂いたまま使っていないエスプレッソメーカーがある。
それを使って、エスプレッソをいれよう。
出してきたのはBialettiというエスプレッソメーカー。
いかにもイタリアっぽい形をした一品だ。
そう言えば名古屋ランプのガンちゃんもBialettiを使っていた。
仕組みが仕組みだからしょうがないのだろうけれど、
この妙なシルエットは、どこか非日常の匂いがする。
有り得ないものが、目の前にあるような。
よく考えられているのか、無理矢理なのか。
不思議な魅力の小さなマシーン、エスプレッソメーカー。
これはもう二十年以上使っているAlessiのメーカー。
高校の頃、バイトした金をためて自分で買った。
当時、片岡義男にのめり込んでいたせいだ。
本の主人公のようにかっこよく生きるためには、
エスプレッソが絶対に必要なアイテムだと、
少年期にありがちな途方もない勘違いを信じて疑わず、
実際に取り組んだ自分の行動力だけは、認めざろうえない。
ティーンの頃の、汚れなき妄想の産物。
未だに現役で活躍しているという丈夫さだけは、
認めざろうえない。
おぉっ、これは大変。
Bialettiは底が小さすぎて、ゴトクの上に引っ掛からない。
やはり非日常は思いもよらないアクシデントを連れて来るのだろうか。
確かに台所にある他のものと見比べると、常識外れな小さい鍋底。
そうか、違和感があって当たり前だったのだ。
全ては台所という現場とのスケールのズレが原因だったのだ。
例えばサッカーのゲームにテニスプレーヤーが入ってしまったような、
いや、そんなことはどうでもいい。
俺はただエスプレッソを飲みたいのだ。
うちのガス台は火力の強さだけが取り柄なのだが、
その火力の実現のため、片側にバーナーが二つ付いている。
外側に大バーナーがあり、その内側に小バーナーがあるのだが、
Bialettiはその小バーナーの口金の上に直接、不時着した。
まぁ、いいか、これでも。
火が近すぎる気はするけれど、
とにかく火にはあたっている。最低条件は満たされている。
しかし、その見た目、この上なく不安定。
ガス台も、Bialettiも、お互いに不本意な状況だろうが、
これであとは完成を、沸騰という名のゴールを待つだけである。
ようやくエスプレッソが出来上がった。
どうしてこの世界にデミタスカップが存在するのか、
今ならなんとなく分かる気がした。
是非、あってほしいと思う。必要すら感じる。
ただでさえ我が家のマグは大きめのものを選んでいるのだが、
これはあんまりではないだろうか。
中身は間違いなくエスプレッソなんだけど、
頭ではそんなこと分かっているんだけど、
これでは圧倒的に量が足りていないか、
もしくは誰かの飲み残しにしか、見えない。
飲んでる最中に少し落ち着かない気持ちになってしまう。
自分が正しいのかどうか、懐疑的になってしまう。
サイズが合う合わないというのは些細なことのようでいて、
実はとても大切にすべき地平線なのかもしれない。
なにしろこの一杯のエスプレッソに関する限り、
スケールのズレは最後まで手を抜かなかったのである。
Bialettiの箱に書かれたへんちくりんなこのおじさんが、
本当はなにかを伝えようとしてるようにも見えてきた。