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- 2023.09.15 Friday
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一見全然音楽とは関係のない話しかもしれませんが、
実は深く深く関わりのある話し。
僕がちゃんと歌を生業にしていこうと思ったのは、
38歳の時でした。人から見れば遅いよね。
ま、家が全焼した事とかいろんなきっかけはあったんだけど、
それまでは他の仕事をしながらのパートタイムシンガー。
色々やったなぁ。
吹き付け塗装屋、ペンキ屋、道路の警備員、外壁施行業、
リサイクルショップ、ギターの先生。
なにしろ若い頃は乗り物が好きで、
それもバリバリのカスタムカー(今で言うShow Carですね)
を作ってカーショーでトロフィーを貰うのが目標だった。
その当時、最高の作品(車)を作るには、
最高のビルダーに頼まなければと思っていて、
たまたまうちの近所にブルーオートというエアブラシのガレージがあった。
今でこそ凝った塗装も一般的になって来て沢山のペインターや
ピンストライパーがいらっしゃいますが、
その当時その手の技術を持って仕事をしていたのは、
知りうる限りブルーオートの青木さんがナンバーワンだった。
その頃から音楽は演っていたのですが、
何故パートタイム。
職人仕事をしながらライブを演っていたわけです。
それを知った青木さんが言った言葉、
「りゅーまろちゃん、モノを作るのはさ、一緒だよ。
家を一軒建てるのも、車を一台作るのも、曲を一曲書くのも」
目から鱗とはこの事だった。
なーんだ、材料が違うだけで良いものを作る作り方は、
たいして違いはないんだなぁって。
以来、僕は一貫している。
日常も仕事も、趣味も遊びも。
やり方は、一個で良かったんだって思えたら、
何も迷いは無くなった。
いろんな事情でガレージをたたみ、
横浜の実家に引っ越すとなった青木さんを、
タイミングも合った僕は手伝わせてもらった。
もらったのだが、当時肉体労働に関わっていた僕はその合間で参加したため、
不覚にも疲労から引っ越し先の実家のこたつでガーガー寝てしまったのだ。
「いやぁりゅーまろちゃん疲れてるみたいだからさ、
そのまま寝かせておこうかなぁって」
目を覚ました僕に、お母さんが売っているくずもちを
「まぁ食べなよ、旨いよコレ」って食べさせてくれた。
青木さんとの出会いは、
モノを作るということに関わる人間として、
根本を気付かせてくれるとても大切なきっかけになった。
その後青木さんに教わってエンジンルームから自分で塗り直し、
ピカピカに磨いたエンジンを載せた僕の車は、
とあるカーショーでトロフィーを貰った。
ものすごく分かり易く結果が出たのだ。
今、音楽を作っていても、
その方法は変わっていない。
家を一軒建てるが如く、
基礎があり、柱があり、サッシのレイアウト、
壁の貼り方、色、全体のまとまり。
まったく一緒なんです。
だから今思えば建築業に関わっていた長い年月は、
確実に自分の中で息づいているし、
回り道だとしか思えなかった日々が、
自分のやり方を確実なものにしてくれている。
そんな風に考えをシフト出来たのは、
どう考えても青木さんとの出会いが有ったから。
いきなりガレージに飛び込んで、
アメ車専門店みたいなのを承知の上で、
国産の360ccの軽自動車の塗装を頼み込んだ。
「俺、国産はやってないんだよ」
この一言を覆すためにブルーオートへ通った日々。
室内を作り直し、エンジンルームを塗り直し、
本気である事をその度にアピールし、
そしてやっと「分かったよ、塗ってやるよ」って、
言ってもらえた時の嬉しかった事。
今でも、ホントに今でもありありと思い出せるんです。
あの頃、
今とは全然ちがうジャンルで、
でも最高のモノを作ろうとしていたあの頃、
お世話になっていた人に会ってお礼が言いたい。
まだ、生きています。
とにかく、歌って生きています。
それを伝えたい。
ブルーオートの青木英吉さん。
出来れば直接会ってお話しがしたい。
願いが叶うといいなぁ。