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- 2023.09.15 Friday
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そう言えばRuffHouseの今城さんが、
「フェリーで高松来て、フェリーで帰ったら安いって」
ってずっと言っていたのを思い出した。
もちろん何処から向かうかにもよるし、
時間帯によってはタイミング合わないし。
そんなに上手い具合に乗る機会なんてないよって、
あまり現実的に考えていなかったのだけれど。
岡山でのライブ後、カウンターで話していたら、
「高松、フェリーで行ったらいいのに」
って話題になったのね。
おぉ?って、なるよコレ。
来たか?遂にこのタイミング?って。
で早速料金と時刻表を調べて見たら、
瀬戸大橋を渡るよりも安いことが判明。
一時間、もしくは一時間半に一本出ている上に、
なにしろ「頑張れ宇高キャンペーン」実施中につき、
割引される上に同乗者は全員タダという太っ腹。
これはもう乗るしかないでしょう、と。
その日の昼ごはんをラーメン屋さんで食べている時だった。
昨夜調べた13:30の便まではまだ余裕がある。
でもまぁもう一度確認してみようと検索すると、
昨日とは全然別のページが立ち上がって来た。
ん?なんだこれは?
一割ほど運賃が高い上に、時刻表がおかしな事になっている。
無いのだ、13:30のちょうどいい時間の便が。
その時刻表によると11:50の後は15:45発のみ。
パニックに、なった。
一夜にしてフェリーのダイヤが書き換わるなんて。
おかしい、絶対におかしい。
で、よくよく履歴を見てみるとやっぱり13:30の便が出て来る。
こちらは宇高国道フェリーって書いてる。
違う会社だ、さっきのは四国フェリーだったはず。
なんだ、良かった。会社によって時間が違うのか!
そりゃあそうだよな。そういうこともあるよな。
でも気になってトップページへのリンクをクリックしてみると、
そこにはなんと平成24にて廃船のお知らせが載っていた。
宇高国道フェリーはもう無いのだ。まったく、無い。
ガーン、である。
ってことは13:30に間に合うように港に着いた僕は、
15:45までここでボーッとしているしか無いのか?
高松到着時刻は16:50、約束した会場入りの時刻は17:00。
ん?これは、これは微妙だぞ?間に合うのか?
以前、イットさんと二人で向かった北海道は札幌。
僕らは成田からの便に乗り遅れた。
カウンターで相談すると二便あとのに乗せてくれると。
「良かったねぇ、とにかく、着くねぇ」
なんて言ってたのも束の間。
千歳空港への到着時刻を調べたらね、
なんとその日のライブの開演時刻。
こりゃぁえらい事になったと大慌てしたのを思い出した。
デジャブ、とか言ってる場合じゃないけど、
もう心も身体も瀬戸大橋を走るモードでは無い。
僕は結局三時間近くを宇野港で過ごした。
あの高満洋子の故郷、玉野の町の港。
フェリー乗り場以外は何も見てないけれど、
印象は悪くない。のどかな雰囲気の町だった。
そして時間ギリギリに辿り着いたRuffHouse。
共演のエキサイト中条くん、鶴早大貴くん、
そして三人で作ったプレゼント用のCD。
中条くんは44歳、大貴くんは30歳、僕は51。
それぞれにそれぞれの感性で歌った40分は素敵だった。
特に中条くんの「暖」という曲。
いい歌詞を書くなぁと心に刺さりました。
例えば対バン形式の限られた時間の中で、
たった一つのセンテンスでもが心に刺さるかどうか?
勝負どころはそこかもしれないよね。
そういう意味で言えば中条くんの「暖」は刺さった。
出来ればこれからも高松で会いたい人だ。
大貴くんの溢れ出るエネルギーも羨ましかった。
30の頃、あんな無鉄砲なエネルギー僕にあったかな?
とか、
それを乗り越え来た今の自分として負けるもんか、
とか。
今回のCDプレゼント、だいぶ無理があったと思うの。
録音環境が自宅になければお金をかけてやるしかないし、
それをまとめる役目を中条くんに一任してしまったのは、
音楽を生業としている人間として申し訳なかった。
でも、約束を守り抜いた三人はその時点でね、
何かを成し遂げていた気がするんだよ。
言ったことを精一杯の情熱で成し遂げる。
約束を、それがどんなに小さくても、
頑張って、守る。
たったこれだけのことだけど、
高松まで行った甲斐があった。
そういうもんだ。そんなもんだ。
まだまだお店には迷惑をかける状況なのに、
付き合ってくれてる今城さんには本当に感謝。
ありがとうございました。
いつか、あの席を埋めてやる。
長い、長い、約束。
鈴鹿S.Aにあったフィジケラが乗ったジョーダンのマシン。
HONDAのお膝元って感じだよね。嬉しかったなぁ実物が見られて。
これは宝塚かな?
里山公園の、あの気持ち良い会場で歌えなかったのは、
確かに「残念」だった。
が、しかし、振替イベントの「残念でした会」
パンパンに人が入ったステージコーチは、
まさに身動きが取れない状態。
残念がっている暇などなく、次から次へと演奏が続いた。
みんなおもいおもいのスタイルに身を包み、
入れ替わり立ち替わりするお客さんも皆楽しそうだった。
要するに「あぁ残念だったねぇ」的な空気は一切ない。
だってさ、あの公園に来るつもりだった人数が、
ましてやあの小さなステージコーチに押しかけたらさ、
大変な騒ぎになるのはちょっと考えたらわかることなのに、
片山くん、やってしまいましたね、確信犯的大騒ぎ(笑)
今年のジャンボリーには大阪からゲストが来てまして、
この森山くん、2年前に大阪で対バンさせて頂いたことがあるの。
その時に実は片山くんとも一緒に演っていたり、
辻堂のこともいろいろ詳しくてえらく盛り上がったですよ。
で、もしかして辻堂で会えたら笑っちゃうねーなんて話してたの。
笑っちゃいましたよ、会っちゃうんだもの、辻堂で。
この人の音楽、歌に対する洞察力は半端ないものがあって、
大阪で会った時にお互いにリハーサルを終えたあと、
曲についてとか音楽っぽい話になった時にね、
すげぇなこの人そこまで聞こえちゃうのね?的にね、
メジャーでやって来た音楽感の凄さって言うか、
まぁ簡単に言うと尊敬してしまったわけですよ。
大阪ではお互いソロでオリジナルを演ったわけですが、
今回の森山くんは完全にカントリーモード。
これは初めて聞くのでものすごく楽しみだった。
そしてその森山くんに会いに「わざわざ駆けつけた」(笑)
(本当にね、さらっと言うからこれがまた可愛いんですが、
土下座して恐縮する森山くんが可笑しかったよね)
Keiko Walkerさんもいて、とにかくわいわいしっ放し。
かえってこのキツキツ感がもたらした幸福感というか、
ちっとも残念ではない残念会だったわけです。
限られた持ち時間の中で何を演奏するのか?
これは毎回、フルサイズだろうが30分だろうが、
結構真剣に考えるのですが、ま、当たり前か。
今回はユカリさんがスティックケースだけ持って、
てくてく会場に向かって歩いて来るのを見た時から、
ドッカーーン!みたいなライブにしよ、って決めた。
うまくいったと思います。メニュー構成。
僕らはステージでドッカーーンてなってました。
皆さんにも伝わったでしょうか?
昨今、R3での演奏機会がかなり絞られている中、
楽しみに来てくれた方が喜んでくれたら何よりです。
終演後の打ち上げは割としつこく続き、
最終的には片山くん、ギターの浜野、イットさん、僕。
閉店状態の残心で飲ませてもらいました。
毎度のことながらサトちゃん、すまん、ありがとう。
久しぶりに同級生(本当に同じ高校の同級生なの)の
浜野モトとたくさん喋れたのは楽しかったなぁ。
今や音楽を続けてるのは僕らだけだと思うし。
こんな機会を作ってくれた片山くん、ホントありがとう。
モトの昨日の演奏を聴いていたら、アコギデュオ演りたくなった。
「いまさらかよっ!」って怒られたけど、
なんか演れたら楽しいよね。電話するよ、モト。
まるで楽器屋さんみたいなギターの数。
片山くんはニコニコですが、
この後コンバスが来ると言ったら流石に困ってた(笑)
森山くんとイットさんと。
客席に盛り上げて頂きました、R3。
次回は11/3の大船「和・豊田」の周年、かな?
そして酔っ払った我々は、お酒の飲めないモトに送ってもらうのでした。
一体何がそんなに楽しいのか?
全然覚えていない一枚。
まだ、あった(笑)
よっぽど嬉しかっただろうね、最後に撮ったみたいなツーショット。
モト、飲めないのに遅くまでありがとう。
さて、これから岡山へ夜走りです。
スペシャルゲストを拉致して向かいます。
今日も読んでくれてありがとう。
岡山、高松、頑張って来ます。
事の発端は迂闊にクリックしたOSのバージョンアップ。
あ、録音用のProTools、対応してたっけ?
してないの。
動かないの。
何も開かないの。
聞くことすら出来ないの。
ごく、控えめに言ってさ、絶望した。
今だから言う。
九月に行く高松のRuffHouse。
前回行った時にさ、実はお客さんが居なくてね、
ライブが中止になったんだよ。
生まれて初めての経験だった。
誰も居ないので、中止。
まぁ元々ね、お店のHPの出演者募集のとこをクリックして、
「演らせてください」って始まった話だから、
そもそもこの街にお客さんなんて一人もいない。
信じてもらえないかも知れないけど、
そうやって通い始めた街、幾つもあるんだよ。
だけど、ライブ中止ってさ、
並大抵ことでは無いし、お店にも迷惑かけたし、
なんか、傷つくし(涙)
でね、次回の作戦を練ろうって話になり、
未発表の音源を先着20名にプレゼントしよう、と。
その日、同じように打ちひしがれていた中条くんと、
約束したわけですよ、未発表の音源を送るって。
張り切って夏から作ってた音源。
なのに、なのにね、動かない録音ソフト。
一度だけ平塚のカナフで音響をやって頂いた、
N氏が救ってくれた。
書き込んだ記事に手を差し伸べてくれた。
おかげでなんとなく動き出したProTools。
動いた理由はわからんが、動いているうちが勝負だ。
この時点ではまだ完成してないけれど、
ほぼ大丈夫なやつを高松に送ることが出来そうだ。
こんな風にね、ギリギリの戦いが日々、
繰り広げられているのです。
そんな日々がね、本当にキツいけど楽しいんだよ。
自分が選んだ音楽の道をね、
必死に歩いている自分が、
歩かせてくれているみんなの気持ちが、
嬉しいんですよ。
表に見えない日々のことを、
本来書くべきではないのかも知れない。
だってそれはみんなに見えなくてもいい話。
でも常日頃からステージの上で裸になりたいと、
思っている僕は書いてしまうのだ。
言わなくてもいいことまで、書いてしまう。
ショービジネスの鉄則は見せ過ぎないこと。
いずれね、みんなに見せられないような、
情報解禁まで時間がかかるようなこともね、
起きるかも知れない。起こしたい。
でも、それまでは自分の責任でかけるここで、
書きたいこと書いて何が悪いんだ?
言い訳なんて、いくらでも出来る。
自分に対しても、みんなに対しても。
でも、もう、そういうの嫌だ。
プロセスの説明よりも、
ライブでのMCよりも、
音楽に全て入っていたい。
全部、入れておきたい。
これも信じてもらえないかも知れないけれど、
いまだに練習してるとね、
弾けなかったところが、弾けなかった曲が、
弾けるようになったりするんだ。
この歳でも嬉しい音楽って仕事、
すんごいと思うんだよね。
今夜、ギリギリになって中条くんに音源を受け取ってもらえた。
なんとか完パケ(といってもね、デモの域は出ないけど)
明日はステージコーチに龍麿3が集まります。
なかなか自分の街での演奏、組まないからね。
是非このリーズナブルな機会、
見逃さないでほしいです。
あ、出番は17:00頃の予定みたい。
強風が吹き荒れるでしょう。
ちゃんと帰れる手段、もしくは泊まれる手段、
確保して来てください。
これも、旅人の仁義。
今日も読んでくれてありがとう。
結構キツい思い、してんだよ(笑)
応援、頼むね?
今回、千葉県の鋸南町に関しての諸々。
SNSでの発信がきっかけで世の目に触れることになったそうだ。
うちにはテレビがないからさ、
たまたま入った中華屋さんの点いてるテレビとかね、
やっぱり見ちゃうんだよね、夢中で。
でも、情報番組かな、見ている時。
SNSで「いいね」が多かった話題を、
テレビが取り上げていた。
何だこれ?順番、おかしくないか?
そんな風にしか作れなくなった番組。
じゃぁそのSNSがすごく正しいことばっかりか?
そんなことはないと思います。
ネットなんて所詮いくらでも嘘がつける。
だから自分で選ばなきゃいけないんだって。
こんなの無駄な労力だよなぁ。
って、思うよ、今でも。
だけど最近思ってるんだよね。
自分とSNSとの距離感って、
実際の人間関係のその取り方とすごく似てるって。
まだ建築現場にいた頃にさ、
結構非合法なものが流行っていて、
そういうのとの距離感についてね、
語った親方の言葉が忘れられないの。
「中毒になる奴はさ、ニンジン食ったって、なるんだよ」
まさにその通りだと思う。
今ね、断言するけどそういう非合法関係、
一切付き合いがないです。
何故なら?
ここまで増えて来たお客さんを悲しませるには、
あまりにも代償が大きすぎるから。
どんなに理屈をはべらせても、
今この国で合法でないものは犯罪なんだよ。
だから、それが露見した時に悲しむ人の数、
考えたらさ、そんなもの、僕はもう付き合わない。
そういう判断基準だって、いいと思う。
あ、SNSの話だったね。
使い方によっては本当に強い武器になり得るものだと思うの。
ただ、ニンジン食っても中毒になる人は、
こういうのの依存症みたいになるのかもね。
周りで上手く付き合ってる人を見ているとね、
実際の人間関係をきちん出来てる人は、
まず問題なくSNSを使いこなしている。
そんな風なバロメーターとして、僕も使っています。
息抜きくらいの位置だけど、何かに役に立つ。
だからあまりひとの記事とか読む時間がない。
たまたまトップに上がったのとかしか、読めない。
でも遠くの友達の近況がわかるのはすごいよ。
もちろんネットの世界だからさ、
誹謗中傷、驚くようなデマにも会います。
それでも使っているのは、
これが誰かを喜ばせるために使えると思うから。
だからガンガンとフォローしてね。
FaceBookも、Titterも、Instagramも、 諦めないで良い方への可能性、探っています。
今回みたいな災害時に、
ラジオの次に情報が早かったのはSNSらしい。
もしかするとラジオより早かったかも。
そんな風に使える道具をね、
うまく使えないのはこちらの力量不足だ。
その時は潔く諦めるよ、辞める。
でも、まだ可能性が残されているフィールドに、
ゴールも決めずに辞めるのは、僕らしくない。
そんな風に考えています。
だから今しばらく、
挑戦してみたいと思います、SNS。
きっと幸せな使い道があると信じて。
9/23の茅ヶ崎ジャンボリー、残念ながら中止が決定しました。
あれだけの規模の出店とステージの設営、
そして何よりお客さんのことを考えての決断でしょう。
残念だ、本当に。
どれくらい龍麿3がやる気だったかと言うと、
何しろ今年は一般枠で申し込んだんだもの(笑)
そんで出ても良いですって言って貰ったんだもの。
それくらい気持ちの良いイベントだったんだよね。
片山君のね、注いだ時間や労力、思うとさ、
本当に悔しい。
規模は比べものにならないけれど、
同じ野外イベントを主催するものとして、
その想いをはかることぐらいは出来る。
でも当日、ステージコーチでなんか演る。
演る、らしいです。
楽しもうね、死ぬほど楽しもう。
そう、大阪。
今年、六回目の、大阪。
フルタイムではないにせよ、
埋もれている素晴らしいミュージシャンがいる。
去年の「ぱ」の周年ライブの時に聞いた、
よこへとウパ君の歌。
素晴らしかったんだよね。
だからよこへとは今年何本も一緒に演ったし、
ウパ君とは「ウパ麿」を演らせてもらった。
ウパ君はカレー屋さんなの。
行くたびに食べさせてもらうカレーの自由度は、
彼の弾くギターのそれと一緒なんだ。
だから今回、「ウパ麿」
楽しかったなぁ。
久しぶりにギターデュオを演らせてもらった。
これは、続くよ?(笑)
共演の市川まさみくん、
そしてカニコーセンさん(以下カニさん)
そこによこへが居て、僕ら。
まさみ君の歌詞の世界はね、
どう言ったら良いかなぁ?
馬場俊英さんと初めて会った時にも近い、
あぁ、パンクなのに言葉のプロ、だなぁ、みたいな。
カニさんはね、地元の大船パラダイスにも来ていた人。
話だけは聞いていたけれど、ステージの組み立てがもう、
下手な演芸よりも緻密に組み立てられた、間。
面白かったの。腹抱えて笑えるヤツ。
とにかく、無冠のチャンピオンみたいな人ばかりのこの夜。
何だろうなぁ、こう言う組み合わせをね、
実現するのってなかなか大変なんだ。
まず、客層が統一出来ないから読めない(笑)
集客のピントもどこに合わせたら良いのか?
そんな企画を立ち上げたぱずをさんの英断。
僕は絶対に支持します。
ありがとう、って言いたいです。
呼んでくれて、ありがとう、と。
今回も泊まらせて頂いている生野で、
7町会の古紙回収とアルミ缶集め、重なりました。
近所の人たちも、毎回来るわけではないんです。
そんな様子がわかってきた。
でも、会った事のある人の、その対応がね、
もう近所の人扱いになってきたんだよね。
何だろう?この受け入れてくれる感? そして自分の街を大切に生きている感覚。
これは僕、自分の近所に逆輸入してみたい。
次回のツアーからは新しい会場が増えるみたいだ。
今年これだけ大阪へ向けて走ったその距離が、
何年か後のライブで実を結ぶようにと、
みんなが思ってくれている。
ありがとうね、大阪。
いくら慣れても、460kmの距離は変わらないんですが、
それでもね、
いくらでも、行くで?
真昼間のカレー屋さん。
リピーターの方も増えて来たのはすごい事。
唯一心残りなのはこの日カレーを食べ損ねた事。
それより前に飲み始めてしまったのです。
「大丈夫ですよ、僕が生野まで運転します」
そんなウパ君の気持ちに乗っかってみたのだが、
ゴールは生野ではなく、美章園の「ぱ」だった。
この後僕とぱずをさんは弾きまくり歌いまくり。
まぁ、これはこれで大残業みたいな、ね。
ぱずをセレクト。
右から、
市川まさみくん、
よこへ、
カニさん。
普通の仕事だったら、
もっと言えば、
普通に生きていたら、
会えない人たちだった。
ありがとう、ぱずをさん。
さて、毎度お世話になっているT邸ですが、
またしてもよく分からないものがバラされていた。
子供用のスクーター型三輪車、か?
その奥にはL型エンジン用のソレックスが普通に置いてある。
この前来た時にはダンボールで出来た戦車があって邪魔だった。
毎回ね、もう大抵のことには驚かないです。
ここの町会の仲間になれたらこんな嬉しいことはないです。
こんなやりとり(笑)
まだ年内に二回、大阪行きます。
年末の行事、楽しみです。
今日も読んでくれてありがとう。
ってことは、次は岡山で。
先日の鋸南町の一日を書いた記事を読んで、
物資を送りましたっていうメールを何件か受け取りました。
ありがとうございます。嬉しいです。
メジャーなメディアが伝えないことでも、
小さくても大切なことが沢山あって、
それをなるべく近い距離で、
できれば直接に近い言葉で、
伝えたいなぁと思って書いた記事。
伝わったのだとしたらこんな嬉しいことはないです。
ありがとう、みんな暖かいよ。
愛してます、みんなの気持ち。
そんなことがあってね、ちょっと改まってさ、
ここの存在意義みたいな事を考えてみたの。
もう15年、テレビを見ていない。
モニターとしての画面はあるけれど、
テレビは繋がっていない。
とても影響力のあるメディアだし、
出れば全国のお客さんも喜んでくれるだろうし、
過去に何度か出たこともあるけれど、
でもずっと繋いでない、必要ないと思ったから。
点いてる間はテレビが主役になってしまう、
そんな時間が勿体無いと思ったのがきっかけで、
結局は信用できねぇなってのが結論で。
福島辺りからの僕のブログには、
自分で見て来たこと、感じて来たこと以外、
書いてない。転載とか一切、ない。
信用出来るのはその場の温度を知っている個人の、
まぁ主観は入っているにせよフラットに近い情報だと、
せめて自分のチャンネルもそうありたいと思って、
一生懸命自分の言葉で書いてみているのです。
だから身近な会話だってそうだよ。
自分が見て感じた事を、
ちゃんと伝えたい相手にはきちんと話す。
結構辛辣な事も言わざろうえないし、
ましてや信じられないような話もあるだろうから、
どうして僕がそんな事を話すのか?
本当なら言いたくもない事を、
多分相手も聞きたくもない事を、
なぜ僕がそんな話をするのか?ってところをさ、
想像できない人たちには悪口を言ってるようにしか、
きっと聞こえないんだろうね。残念だけど。
そんなもん、その後誰が何をしてるのか?
ちゃんと見てれば自ずと答えは出るだろうに。
僕も含めてね、見てれば分かるだろうに。
今の自分の周りには、
個としてメディアになり得る温度の人たち、
そんな人たちが沢山居てくれる。
太くて短い繋がりを流れる情報は、
スピードも含めて信用しても大丈夫な新鮮さ。
こういうフィルターの浅い言葉を信じていれば、
そうそう間違えたりしないで済むはず。
西日本豪雨の時にしても今回の鋸南町にしても、
どういうわけか現場にいちゃうもんだから、
その場の温度感をなるべくフラットに伝えたいと、
そんな風に思っています。
これは17年維持して来たHPの責任でもあるし、
これからも変わらないで続けて行きたい事。
情報過多がデフォルトになってる今、
何を読んで何を聞いて何を信じるのかを、
選んで行かないと簡単に情報操作の餌食になってしまう。
そんな中でもあいつの話は信用出来るかも、
って思ってもらえるような温度感で、
これからもここにつらつらと書いて行きたいです。
そうやって信頼出来る個と個が繋がって、
だんだんと新しいメディアとしての流れになって、
宣伝や報道制限やそんなものに振り回されているテレビを、
凌駕して行ったりしたら痛快だよなぁなんて、
思っています。
だからね、ここは信じて大丈夫。
この目で見たことや触れて来た温度とかをさ、
なるべくそのまま伝えようと思います。
ライブの報告もね、同じスタンスで行きたい。
よく言われるんだよね、お客さんが少ない客席写真は、
マイナスのイメージにしかならないんじゃないの?って。
でもそこにいない人よりも、
そこに来てくれた人の気持ちが嬉しいから、
全部載せちゃうのね、それでいいと思うのね。
そんな、スタンス。
今日も読んでくれてありがとう。
千葉県の鋸南町へ連れて行ってくれたのは、
元ロケットデリ、現PESCAの店主、光太郎。
そしてお客さんの修平。 実家が全壊してしまった茂串くん一家。
最初はね、彼らに集まった物資を預けるところまで、
のつもりだったですよ、ほんとに。
そうしたらなんとまぁ、急な呼びかけにも関わらず、
とても沢山の支援物資が集まったの。
これは心から感謝します。ありがとう。
凄いね、みんな、あったかいよ。愛してるよ。
で、
沢山過ぎて修平の車にはもう入り切らない、と。
じゃぁすぐに必要な物を選別して積んでよ?
って、ここでもまだ行く気は無かったの(笑)
でもさ、せっかくみんなが気持ちで集めてくれたのに、
積めませんでしたって結末は、無いかなって。
結局、僕の車にも満載して一緒に連れてって貰ったの。
町のいたるところに瓦礫の山が出来ていて、
電気が途絶えている家、まだ通じている家、
断水している家、水は出ている家が点在。
信号も動いていたりいなかったり。
大混乱にならないのはここの人たちが、
まだ譲り合ったり助け合ったりすることを、
諦めていないからだと思った。
所々で電気が戻ったという知らせも届いている。
おそらくは関電工の人たちも頑張ってくれている。
不眠不休で復旧(ラップか!)に当たってくれているはず。
むかしね、バイトしてたんだよ、関電工(笑)
だからきっと頑張ってくれてるんだと思うんだ。
末端の人たちは、それを使っている人の顔が見えるから、
それこそ死ぬ気で頑張れるんだよ。
でもそれだって限界がある。体力は、有限な資源だ。
まだ港の近くは壊滅的な状況のままだ。
こういう時こそもっと上からの声で、
末端の人たちを守って欲しいと思った。
それくらいの規模の災害じゃないかと、
僕には見えました。
どこぞでゴルフをするのもいい。
閣僚を決めるのも大切かもしれない。
でもその瞬間にもそこには生きている人がいるということ。
このところ、凄く感じるのはさ、
これっぽっちも国に守られている気がしないんだよ。
さて、これから大阪に向かいます。
明日の13:00からのライブに間に合うように。
僕は僕の仕事を、する。
まずこれが一番、大事。
でも、結局ね、
音楽で行くのも被災地に行くのも、
スタンスは一緒なんだよね。
材料が違うだけで、スタンスは一緒。
スレスレの線上でのできごとは、
こういうことを改めて教えてくれる。
ありがたいね、なかなか、無いよね。
そしてSNSもさ、ちゃんと使えば悪いもんじゃない(笑)
この港の近くに車で何件も物資を降ろしに寄ったのに、
写真を撮るどころでは無かったのが実状。
こんな瓦礫の山が街の至る所にできていた。
半端な量じゃないんだよ。
全壊してしまった茂串くんの実家。
二階の屋根は丸ごと無い。
怖かったろうな、こんなの経験ないけど、
凄く怖かったろうね。
まずはこの家の片付けから作業は始まった。
港近くには作業小屋がいくつもあったけど、
小屋レベルの建物はこんな風になってしまっていた。
言い方は乱暴だけど、復旧もクソもない。
そして茂串くんのおばあちゃんちへ移り、
剥がれた屋根にシートをかける作業。
お父さんの見事なロープワークに見とれてしまう。
どんな場合も強いのは現場で身につけたスキルだ。
海の男の逞しさ、見せつけられました。
物資の受け入れ先になっている鋸南小学校の体育館。
沢山の人が次々に届く水(重たいのに)やブルーシート(これも重い)を
受け取ってくれています。
僕らはみんなから預かったものを、
ここに置いて行くものと直に配ったほうがいいものを分け(これは修平が一人でやってくれた)
必要な人に必要なものが届くように預けて行きました。
光太郎曰く「良い気分じゃない」ヤツ。
コンビニが閉まっている風景だけで、こんなに不安感があるなんて。
ましてやガソリンスタンドも電気が途絶えた場所では閉まっている。
いかに電気に支えられた暮らしなのか、思い知らされる。
あぁ、この人に会えて良かったなぁって、
この人生で巡り会えて良かったなぁって、
そう思える人の笑顔であふれていた丸太の森。
来てくれたお客さんに喜んでもらうための、
スタッフの努力は想像を絶するものがあった。
来てくれたお客さんを喜ばせようとする、
その気持ちの塊はきっと伝わっていたと思う。
それが、あのみんなの笑顔が、一つの答え。
ここ数年、とにかく助けてもらっている。
イベントに賛同して手伝ってくれるみんなの、
その心意気にも現場での処理にも、
全ての面で支えてもらっている感じが、
本当に心強いんです。 だから出番になれば100%演者になってステージに上がれる。
これが一番ありがたいことなんです。
もう僕がいちいち口を挟むよりも、
持ち場の判断でどんどんやってもらえる。
実際、今年僕はとんでもない忘れ物をした。
BBQ用の焼き網一式を、積み忘れた。
しかもBBQ直前まで、気が付かなかった。
それをファインプレーで救ってくれたのは、
BBQスタッフの判断力に他ならない。
今年は演奏陣も凄かった。
エンジニアに「最強のトップバッター」
と言わしめたKayoに始まり、息つく間もないつなぎ。
本当に素晴らしい演奏、裸の演奏が揃ったと思う。
嫌な話、演者の選定については毎年毎年ね、
プロデューサー的な目を試されているわけで、
それでもAcousticCampなら間違いないと、
あの山を登って来てくれる皆さんに満足してもらえる、
そんなメンバーを目指して来てもらっているのです。
そして最後に龍麿3として悔いのない一本を、演る。
これが毎年の僕個人の目標。
良いことばっかり書くつもりもないんだよ。
正直、興行的には考えなきゃいけないことが山積み。
その一回の収益を考えれば、
名前が売れてる人を呼べば手早い収益には繋がるかもしれない。
でもね、それをやらないでここまで続けて来た理由。
その人じゃなくて自分がそこに呼ばれている理由。
出演陣にはそこをもう一度意味深く考えてもらえたら、
来年はもっと客席が賑やかになるはずなんだよね。
いい結果が出た時には出てくれたみんなのおかげ。
そうでなかった時には全部自分の手落ち。
そのくらいのつもりでないとイベントなんてやってられない。
誰かのせいにするくらいなら、自分でケツを拭く覚悟。
必要なのはそれくらいだと思う。
そこに来られないけどスポンサードしてくれている、
20軒を超える店主の皆様の気持ち。
以前出演してくれて、いまだに応援してくれている人の気持ち。
目には見えないけれどたくさんの気持ちを背負って、
あのイベントはやっと成り立っているのです。
どんどん巨大化して高額になっていくフェスの中、
一本くらいこんなイベントがあっても良いんじゃないの?
そんな気持ちで続けて来ました。
「続けてくれて、ありがとう」
そんな風に言われたらさ、来年も演るよ。
きっと、演るよ。
あの会場に来てくれた皆さん。
今年もありがとうございました。
ケヤキの樹が朽ち果てるのが先か、
僕が力尽きるのが先か、
先のことは誰にも分からないけれど、
今年もやって良かったなぁって、
心から感謝しています。
関わってくれた全ての方々に、
ありがとうございました。
ポップコーン隊長、チューソン。
今年のAcousticCamp、
重大な欠員。
トナカイと日倉士のアニキ。
トナカイは仕事中の不慮の事故で、
現在リハビリ中。
日倉士のアニキは癌と戦うべく、
日々キツい治療に耐えている。
こういう時に味わう無力感。
たまらないよね?
だから今年のAcousticCampは、
みんなの祈りを一点に、いや、二点に。
集めるようなライブをしたいと思っています。
もう亡くなってしまって会えない人もいる。
でも帰って来てくれるべき人には、
一刻も早く「お帰りなさい」を言いたいんだよ。
帰ってくるべき人、日倉士のアニキ。
初めて来てもらった2002年、大事なことを教えてもらったの。
アニキ、あなたは必ず帰ってくる。
待っています。
この一枚の写真が、AcousticCampに於けるトナカイを表してる。
人の目に触れないところで、いつもフォローしてくれていた。
トナカイ、お前もさっさと帰って来い!
みんな待ってんだから。
もうこれは趣味でいいです。
毎年の年号看板作り。
実はここからが大変だったりする。
本当は準備で四苦八苦している時期ですが、
エチケッツのたけちゃんとしんちゃんに会いに行って来た。
一瞬、音楽で癒されたい心を、見事に鎮火。
流石でした、お二人さん。
ライブパスも出来上がり、
看板もなんとか出来た。
Tシャツは近年稀に見るくらいの秀逸な出来栄え。
もう相棒はぱつんぱつん。
積載オーバー気味で走ります。
今日も読んでくれてありがとう。
戻ったら、またね?